京菓子寸話「丹波大納言小豆」
大粒で味と香りがたいへんすぐれた小豆(あずき)は京菓子の材料として欠くことのできないものですが、昔から菓匠たちはその小豆のことを「大納言」といって、平安時代宮中の官職名で呼びならわしてきました。
大納言といえば太政官の次官で、右大臣に次ぐ高官。天皇の宣旨を伝達する権限が与えられていました。一説には大納言の地位にある人はどんな事態になろうとも決して切腹などしないように、良質の大納言小豆はどんなに煮ても実が割れないことに由来するといいます。
小豆には種子まきの時期によって夏小豆型と秋小豆型があり、大納言小豆は夏に種子をまいて晩生し、11月頃には大粒の実をつける秋小豆型に属します。小豆の品種には他に新大納言、夏と秋の中間型で小粒の小納言とよばれるものもあります。
小豆は東洋原産の雑穀でマメ科に属する1年生の草木。30センチから60センチまでの高さに成長する丈の低い作物です。土質を好き嫌いすることなく、どんなやせた土地にでも育ち、水利のよくない傾斜地にも適した栽培のしやすい性質が重宝がられてきました。7月末ごろまいた種子はやがて黄色い小さな花をつけ、収穫のときは細長いサヤが割れて、なかに10粒から15粒ほどの赤く熟れて大きい実を入れています。
古来、小豆は祝い事やお祭に使われるならわしですが、古くは延喜式大嘗祭に小豆餅として使われている文献があります。小豆の赤い色に、古代の人は穀霊ともいうべき自然の呪力をみとめて、人間や植物の生命力を強めると考えていたようです。そこから正月15日の小豆がゆや10月亥の日の牡丹餅のように、節日に小豆を食べるしきたりが発生したとされます。
大納言小豆で最高の品質は丹波地方に産するもので、丹波栗とともに丹波大納言は京菓子のすぐれた材料になっています。丹波地方はいうまでもなく、明治維新までは丹波国といわれて、東は山城と近江、西は播磨と但馬、北は丹後と若狭、南は摂津国にそれぞれ囲まれた丘陵地帯で、現在その大部分が京都府下になります。気候風土に恵まれて、昔から農産物にすぐれて京の味覚の材料となってきました。丹波大納言の代表的な産地は愛宕山西麓の馬路(うまじ)と奥丹波の国領(こくりょう)、現在の春日が有名です。
京都から山陰街道の老ノ坂峠を越えると、美しい田園風景をみせる亀岡盆地がひらけます。馬路は大堰川を渡って雄大な愛宕山に近づくなだらかな丘隆地にあり、付近に奈良時代の国分寺跡や出雲族ゆかりを物語る古社の出雲神社などがあって早くから農耕社会が開かれた土地柄であることをうかがわせてくれます。
馬路は篠山を過ぎて福知山に接近する山間の村ですが、ここの丹波大納言は香りと味のよさでは随一といわれています。弊店の薯蕷饅頭や鶴屋吉信ようかんの小倉、茶寮のぜんざい等には最高の品質の丹波大納言小豆が使われて、他の追随を許さない風味をつくっております。