京菓子寸話「柚子」
初夏の頃、白い5弁の花を可憐に咲かせる柚子の木。花が終わるとやがて青い小さな実をつけて、夏から秋の赤々と照る日を浴びて実を太らせ、11月から1月の寒い季節に美しく鮮黄色に熟します。
柚子の原産地は中国の奥地からチベットにかけての寒い地帯で、日本へはずいぶん古い時代に入ってきたといわれます。寒冷地に適してカラタチに次いで寒さに強いといわれるのはそのためです。ミカン科の常緑木で高さは4メートルほどにも達し、枝に長いトゲを持ち、葉は細長い楕円形をなしているのが特徴的です。その独特の芳香は古くから珍重されて、日本人の暮らしに深くなじんできました。果皮は香辛料の原料となり、果肉の芳香は料理に使われて味をひきしめてきました。また古来薬用としても尊ばれ、不老長寿の仙薬ともいわれてきました。
柚子の香りのよさは当然ながらお菓子の材料としても早くから親しまれたのです。奈良時代の大嘗会(だいじょうえ)の供物を記したものに搗栗(かちぐり)、熟柿などと並んで柚の文字が見られます。お菓子の発祥は上代の菓物(くだもの)に始まるのですが、そのなかでも最も早くから加工されたのが柚子でしょう。こんにちの茶道菓子の発祥は室町時代といわれますが、利休の頃の文献に現れるのが「ふのやき」と並んで「柚餅子(ゆべし)」です。この柚餅子は熟した柚子の実を上下2つに切り、上をふたになるようにして実をとりだして米の粉と味噌を入れて蒸しあげたものといわれます。
鶴屋吉信の「柚餅(ゆうもち)」は、嘉永年間の頃、3代目鶴屋伊兵衛が、いつものように禁裏御所へ季節の菓子を謹製して納めようと「みぞれ羹」をつくったところ、どうしたわけか寒天の配合を間違えてしまったので、思案のあげく、これにもち米を加え、青柚子の芳香を加えて進上したところ、ことのほか喜ばれたので、3代目はかえってびっくりしたという逸話が伝えられているものです。 以来、求肥に香り高い青柚子をしのばせ、和三盆をまぶした「柚餅」は禁裏御愛用の品となり、明治時代には、文人富岡鉄斎が愛好して「天下一品」の賛を与えております。
京都の人は柚のことを「ゆう」と優雅な語韻で呼びならわしていますが、利休の「柚餅子」、3代目伊兵衛の「柚餅」の例でみるように、「ゆう」という呼びかたは相当古くからのようです。柚味噌(ゆみそ)もまた京で親しまれているもののひとつです。京名物「柚餅」に使われる青柚子ですが、夏に採取される青柚子を四季を通じて貯蔵するのがたいへんで、鶴屋吉信では3代目伊兵衛が編みだした貯蔵法を一子相伝の秘法として守っております。